SS:或る夏の夜の記憶
(2006/8/7作)


 わかったわかった。話すよ。話すから。
 そう、あれは2年前のことだったかな。

 ほら、俺ってタクシーの運転手やってるじゃん。
 その時はちょっと長距離のお客さん乗せて走った帰りで、山道を走ってたのな。
 ちょうど時期的には今頃。暑い夏真っ盛りの日だったよ。日も暮れて、辺りは真っ暗でさ。事故を起こさないよう注意しながら走ってたわけよ。

 そしたら急に目の前に人影が現れてさ。びっくりして慌ててブレーキ踏んだよ。
 道路の真ん中に、異常に肌の白い女の人が立ってたんだ。白の薄いワンピース着ててさ。
 俺もちょっと怖くなったんだけど、その女が乗せてくれって言うから仕方なく乗せたんだよ。だってこんな山の中でさ。深夜に女の人一人で歩かせるわけにいかないじゃん。美人だったし。

 しばらく走ったものの、その女ずっと俯いててさ。
 時々当たり障りのない話を振ってみるんだけど、「はい」とか「いいえ」とか簡単な答えが返ってくるだけなんだよ。会話が続かないでやんの。
 タクシー運転手として会話術は身に付けてるつもりだったけど、自信なくしかけたねあの時は。

 そのうち、ガソリンが少なくなってるのに気づいてさ。
 で、山道の途中にあったガソリンスタンドへ立ち寄ったわけ。
 その女に一応確認はしたよ。ガソリンスタンドに寄っていいですか、って。
 でも俯きっぱなしで答えが返ってこなくてさ。まぁいいやと思って、俺そのままガソリンスタンドに入ったんだ。

 でもやっぱり気になるじゃん。いろいろと不自然だし。どう考えても怪しいし。
 だから俺、スタンドの兄ちゃんにガソリンを入れてもらいながら、ちょっと勇気を出して聞いたわけ。
 あんな山道を一人で歩いて、何かあったんですかって。
 でもやっぱり全然答えが返ってこなくてさ。俯きっぱなし。こりゃいよいよかなって俺も思ったよ。

 ガソリンも入れ終わって、お金払いながら考えたのは、いざって時のために慎重に運転しようってことだった。
 ほら、よくあるじゃん。霊の仕業で突然ブレーキが利かなくなって…みたいな。そういうのだけはゴメンだと思ったからね。慎重に、ゆっくり車をスタートさせようとしたんだ。

 そしたら、女が突然こう言ったんだ。
 「早く出して」って。

 俺怖かったけど、ここは正念場だと思った。
 だから「安全運転がモットーですので…」と答えた。
 すると、ずっと俯いてた女が急に顔を上げて、すごい形相で叫んだんだ。「いいから早く出して!」って。
 俺完全にビビっちゃってさ。さっきまで考えてた安全運転云々もすっかり忘れて思わずアクセル全開でそのガソリンスタンドを飛び出しちまったわけよ。


 …え、帰る? ああ、もうこんな時間か。
 悪いな、話が途中なのに。ん。何。結局なんだったのか? ああ、じゃ結論だけ言うな。

 後で知った話だけど、そのガソリンスタンドは一ヶ月前に爆発事故起こしてバイト中の兄ちゃん一人が死んだんだって。うちのカミさん、乗り物に弱いくせに霊感は強いらしくてさ。
 うん、それがカミさんとの馴れ初め話。今日はお祝いありがとな。