SS:霊が見えるようになった話
(2005/8/5作)
ある朝目を覚ますと、霊が見えるようになっていた。
もともと霊感のない俺が突然見えるようになった理由は良くわからない。
とにかく、目を開けるや否や部屋の中に子供やらおばあさんやら若い女性やらの姿がうようよ見えたのだ。何事かと思っていると、一団は壁をすり抜けて表に出て行った。普通の人間は壁抜けなど出来はしない。従って彼らは霊であると理解したのである。
家を出ると、借家の管理人さんと出くわした。
特に親しいわけではないし、簡単な挨拶をして早々に別れる。守護霊でもついていないかと思って目を凝らしてみたが、彼にはそういうのは憑いていないらしかった。
それにしても霊が見えるというのはなかなかに面白い。
近所をぶらぶらするだけでもいろいろな霊がいた。
踏み切りには老人の霊が数人いた。渡り損ねて事故に遭ったのだろうか。
交差点では若い青年が呆然と立っていた。よく見ると片足がない。
ビルを見上げた時はびっくりした。中年の男が屋上から飛び降りてきたのだ。しかも地面につくとすっと姿が消え、再び屋上に現れる。彼は延々このループを繰り返すのだろうか。不憫なことである。
朝飯を調達するために商店へ行った。
ここには霊が少ない。新興の土地であるが故、特に地縛されている霊もいないのだろう。時々子供や女の霊が壁から壁へ通り過ぎていくだけだった。
あまり食欲がなかったので軽くおにぎりと飲み物を手に取り、レジに出した。
いつもの無愛想な店員が、いつもの無愛想な手つきで淡々と商品を袋に詰める。その足元を小人のように小さな霊が走り抜けていった。元気な霊と無表情な店員のギャップが面白かった。
少し足を伸ばして町をぶらぶらしていると、程なくして後輩の姿を見かけた。
霊が見えるようになったと言えばきっと驚くに違いない、そう思って声をかけようとしたが、思い直してやめた。道路の向こう側で声が届かないだろうと言うのもあったが、何より彼のすぐ背後にいた霊がこっちをものすごい形相で睨んでいたからだ。
俺はあの霊に睨まれる様なことを何かやったのか。意味もわからず睨まれているのがちょっと理不尽な気がして、少しムッとなった。
ふと思いついて、俺は興味本位で墓地へと足を運んだ。
町であれだけの霊が溢れているのだ。墓地ではどうなっているんだろうか。
しかし実際に墓地にたどり着いて俺はびっくりした。ほとんどと言っていいくらい霊がいなかったからだ。
考えてみればそれは当然なのだろう。ここに眠っているのは既に成仏した者ばかりで、さ迷う必要がないのだ。俺はちょっと拍子抜けしたが、せっかく来たのだからと思い墓参りをすることにした。
途中どこかのおばさんとすれ違う。会釈したが無視された。
水を汲み、自分の家の墓の前へ来て、そこで俺は驚いた。俺が子供のころに亡くなったばあちゃんがそこにいたからだ。ばあちゃんは昔と変わらないニコニコした笑みで俺を見つめていた。
そんなばあちゃんと対峙していると、なんだか小さいころに戻ったような気がして、なんだか懐かしいような温かいような不思議な気分になった。そして少し泣いた。
昼ごろ、俺はまた自分の町に戻り公園でパンを食べていた。
相変わらず霊は良く見える。一般によく霊は透けて見えるというが、俺はそうではない。一見普通の人間となんら変わらないように見えるのだ。
しかしさすがに生きている人間は池の上をついと飛んだり、壁を通り抜けたり、首がなかったりしないだろう。だから霊だとわかるのである。
ちょっと離れたところに一人の青年がいた。彼はじっと遠くの風景を見つめていた。
彼に目が留まったのは、その後彼が突然不自然なくらい狼狽し始めたからだ。
しばらく見ていると彼は腰が抜けたかのようにその場に崩れ落ち、やがてがっくりと肩を落とすとそのまま消えていった。
俺はそれでやっと彼が霊であったことに気づいた。
そのくらい、生きた人間と霊は見分けがつかないのだ。
パンを食べ終わり、袋をゴミ箱に捨てる。
そのまま家に帰ろうとして、ふと先ほどの青年のことが気になった。一体、彼はなぜあんなに狼狽していたのだろう。遠くを見て何に気がついたのだろう。
数分後、俺は近くにある高台に上っていた。
ここは俺の町が一望できる絶好のスポットだ。俺は地面に腰掛け、町をぼんやりと眺めた。
死んだ人間は、風景を生前の記憶で見ていることがあるという。
だから町が変わってしまっても気づかなかったりする。
ああ、そうなんだ。
彼は、あの時景色を見ていてそのことに気づいたんだ。
そして自分が死んでいたことを認識し、消えていったのだ。
あの町の、あと何人が同じように死んだことに気づかずいるのだろうか。
いつまで記憶の中の町で生前の行動を繰り返すのだろうか。
借家の管理人さんも。
無愛想な商店の店員も。
街を歩いていた友人も。
青年と同じように真実を知った俺は消えていく。
最期に俺の目に映った町は、瓦礫と炎に包まれていた。
その日、戦争が始まった。